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石巻発3

  今週の月曜日(4月3日)、仙台近郊の港町・塩竈の避難所で生活している友人に会いに行った。往復約70kmを走行できるだけのガソリンが手に入ったからだ。
 友人は、想像以上に元気で、近日中に、病気がちの奥様とともに、やっと見つかった1LKのアパートに移り住むという。


 石巻への帰り道、以前から気になっていた奥松島・野蒜(のびる)に寄ってみた。

 夏に海水浴に通った白砂青松の浜は消失、茫漠たる景色が広がっていた。
 
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 ますます、やりきれない気持ちになった。


 そして、昨日、久しぶりに大学に行った。
 メディアでも報道された通り、石巻専修大学は避難所とボランテアセンターに建物の一部を提供している。一週間前と比べて、国内各地および海外からのボランティアの数がいっきに増えていた。
 現在、約1000人のボランティアの方々がテントで暮らしている。
 ほんとうに有り難いのひと言だ。
 
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 4月も中旬になろうとしている。
 大学は5月20日から新学期と、本決まりになった。
 本来なら、一昨日(4月4日)が入学式だった。

 キャンパスの桜の蕾もふくらみ始めた。
 しかし、それに風流を感じる心の余裕はない。

 
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 自然のルーティーンは、実に規則正しい。こんなときは、むしろ容赦ないと思うほど。
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by ha-ppyone | 2011-04-06 13:56 | 3.11  

石巻発2(および陸前高田市にて)

縁があって、ワシントンポスト紙の記者・Chico Harlanと行動を共にしている。
一昨日の夕方、彼は秋田で借りたレンタカーで、GPSを頼りに石巻にやってきた。
もちろん、事前に東京から、石巻を基地に3〜4日石巻および三陸の被災地を取材したいとの連絡があった。

「ミニ避難所」の役目を終えた僕の家は、もとの生活に戻ったが、こんどはワシントンポスト紙の石巻支局になった。寝起きを共にし、僕の書斎は彼の仕事部屋になった。

もちろん、僕には何ら問題はない。むしろ、喜んで部屋および食事を提供している。
僕にできることが一つ与えられたと思うからである。

僕しかできないこと、などと高慢なことを言うつもりはない。
この惨劇からの復興のために何かの役に立つことがあればと思うと、
ほんとうに有り難い。

外国のメディアに協力することによって、
石巻そして南三陸の惨状を一人でも多く世界の人々に知ってもらえれば、と思う。


そして、無論、このような活動ができるのも、
外語の皆さんの物心両面での「後方支援」があるおかげです。


このHarlan記者のことは、次のようなサイトに記してある。
http://projects.washingtonpost.com/staff/articles/chico+harlan/

礼儀正しく謙虚な姿勢に好感を抱いているしだい。
(往年のスター・アンソニーパーキンス、あるいは若い頃のボブ・ディランと似ている顔立ち)

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            石巻・日和山神社にて



そして今日(3月31日)は、自衛隊(Self Defense Force = SDF)の支援活動の取材に岩手県の陸前高田市に車で行った。
中心部のほとんど全てが流された町・・・その惨状に言葉もなかった。

はじめに、第9後方支援連隊・連隊長のM氏(一等陸左)から1時間ほど活動について話を聞いた。
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最後に、20歳の自衛官にインタビューをした。
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4時間も通訳として英語と日本語を交互にしゃべり続け、かなり疲れた。
早く休まねば。
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by ha-ppyone | 2011-03-31 22:20 | 3.11